ムシャラフ大統領 /戦場に残された手紙

昨日のニュースでやっておりました。 パキスタンムシャラフ大統領が辞任を発表しました。
なにゆえにこんな事を書くかと言うと、パキスタンも私にとっては浅き縁の国。 やっぱりちょっと気になっちゃいましてね。。 それから前にも書いたかもしれないけど、私ってば、ムシャラフ大統領、結構好きだったんです・・ え?

なんだか一般的には軍事クーデターで政権を掌握し、近頃は独裁者ー のように言われて、悪いイメージがついちゃってるみたいですが。。 でも、そもそもこの軍事クーデターにしたって、彼自身が以前の政権から殺されかかって逆転しちゃったもんじゃないんですか? (そんな話を何かで読んだが・・)

私もその頃、友達??なんぞがいたもんで、「これからどうなっちゃうんだろうねえ?」と心配して言ったら、彼らは「ああ、パキスタンにはよくある事だから。」みたいな感じで、そちらさんのがあんまり心配してる様子じゃなかった。 


確かにそれほど心配することはなかったようです。 この人、顔見た時からそんな悪い感じはなかったのですが、いわゆるどこぞの国の独裁者とは全然違いますよ。 むしろいつぞやのNHKスペシャルでもやってたけど、彼自身は民主化を望んでいたみたいです。 ただね・・・ 日本のような国にしてみれば、民主主義、民主化ってのは、あたりまえのことかもしれませんが、パキスタンのような国では、早々ほんとうの民主主義の概念を定着させるのは、なかなか至難の技というとこかもしれません。


私がこの人いいなって思ったのは、パキスタンとインドが一触即発のような危ない事態に陥った2002年ぐらいの時・・ ムシャラフさんと当時のインドの首相が同じ席に着いた時、ムシャラフさん自ら、インドの首相のとこまで
歩みよって握手を求めたことです。 この人、だてに軍人やってないな、無用な戦争をしかけるような人じゃないって。 まあ、インドとパキスタンが戦争したら、たいへんですからね。。
軍事力としてはインドの方がまさるだろうし。。 そういう現実的なことをちゃんと考えてる。


この人が独裁者ー と言われるようになったのは、むしろ、同時多発テロ以降、アメリカとの対テロ関係によるもんだと思います。 この対テロ戦への協力が人心を離れさせてしまった、しかし彼としては、その選択しかなかったんだと思います・・ 反対派を抑えるためには強硬にいくしかなかった。。
ムシャラフ大統領を失脚させたのは、アメリカ・・って気がしちゃいます。  でも彼は言ってましたね、そのNHKの番組で。 自分はよかれと思ってやったことでも、もし国民が違うことを望むなら、それが国民の意思なら、私はそれに従うって。。 まあ、どの程度の本心かどうかはともかく。。 


私たちは外にいて、安易に対テロ戦争を後退させてはいけないって言うけど、それはそうなんだけど・・
当事国はたいへんだよね。。 自国民に犠牲がでたら、やっぱりやだよね。。

これからも気がかりでなりません。 



★ 昨晩はまた夜更かしして、前日書きました「戦場に残された手紙」、見ておりました。
これは64年前、はるかニューギニアの北ロスネグロス島で1通の手紙を介した2つの家族の出会いです。 
そこで日本兵が残していった手紙を見つけた一人のアメリカ兵、ポールさんが大事に持ち帰り、彼が思ったのは、その手紙をいつか、その兵士の家族に返したいということでした。 それからもずっと保管されて、その家族を捜されていたようですが、この手紙がその家族のもとに戻ったのは、実に64年の時を経た今年の2月だったようです。
 

そこにあるのは、国なんて大きなもんじゃない。 一人の人間の姿なんです。激戦のニューギニア
ロスネグロス島では多くの日本兵が命を落としました。 その時の映像はちょっとショックなものです。
死体の山としか映らない、この人たちに一つ一つの人生があったのですよね。
64年の時を経ても忘れえない思い。 ポールさんのシンプルな言葉の中にも、けして言葉には尽くせない思いがあるのだろうと。 


今年は華やかなオリンピックの陰にかくれて、終戦記念日がいつもよりすぅ~っと過ぎてったような気がします。 当時の戦争体験者の方もお歳を召して、亡くなる方も多くなった。
でもけして風化してはならないのですよね。 

時を経てもけしてなくなった訳じゃない戦争。。 今もどこかで誰かが犠牲になってると思うと・・またなんとも言えぬ複雑な思いです。

また良くまとまらないまま。。 本日はこれにて。