映画 「沈黙 サイレンス」

こんな時じゃありますが・・・ 今年2本目の映画を観ました。 最初は見るつもりなかったんですが、
これ、ポジティブちゃんの推奨。  まあ、有名な日本文学が原作ですからね。 
それをどう外国人監督が撮ってるかって、それも興味だなあって思って、行きました。
なんて言いながら、実は原作については全然知らない。 文学には疎い私ですから。 (^^;

遠藤周作さんの原作。 監督は巨匠、マーティン・スコセッシ。  主演はスパイダーマンの男の子、
アンドリュー・ガーフィールドに、日本の俳優陣が絡むのも、ちょっと気になる楽しみじゃありました。

「沈黙」  時は、17世紀江戸時代。 ポルトガルで宣教師をしていたロドリゴと、ガルペのもとに、
2人が師と仰ぐフェレイラ神父が、布教に渡った日本で、棄教して消息不明になったという知らせが届く。
そんなはずははいー、真実を突き止めるため、またフェレイラ神父を探しに、2人が日本へ渡るとこから
話は始まる。  中国マカオで出会った、日本人の元キリシタン、キチジロー(お久しぶりの窪塚くん。)の
手引きでなんとか無事にトモギ村というところに着いて、そこで隠れキリシタン達とも出会う。
キリシタン達は、2人の司祭が現れたことに、感謝し歓迎する。 ロドリゴもガルペもまた、彼らとの交流に
信仰の深さも感じ、日本に来てよかったー って・・・つかの間の充実感も得たのですが。。

時は、キリシタン弾圧の時代。。  何でここまでやるかなあって思うほどに、キリシタンを見つけると、
もうほうっちゃおけないのね。 トモギ村にも、キリシタン、さらに宣教師たちがいることを嗅ぎ付けた
長崎奉行の一行が村に現れ、2人の司祭は村人によって逃がされるのだが、代わりに村人4人が
捕えられ・・・ 処刑されることになった。

今回、この映画の中で、目を引いてしまったのが、この処刑シーン。 ただ単にバッサリ切るとかじゃなくて、
これは拷問死とでも言うのでしょうか。  村人4人は十字架のように貼り付けにされ、その十字架は
海の中に立てられる。  満潮時の潮が満ちると、高くなった波が何度も彼らをたたきつける。
力つきて死ぬまで、そこにさらされる・・・っての。  
生きたまま藁にくるまれて、焼かれたり、または、そのまま海に落とされたり・・・ 
ひっ、酷すぎる !!  見てられないわ~ っと。  何でここまでやるか。


そして、こんな恐ろしい目に合うのに、なぜ、踏絵を拒む?! 躊躇する?? このへんもわからない・・
そこまで信仰が熱いのか?  武士が生き恥をさらすなら、死んだ方がまし・・みたいに切腹するような
日本人の美学?? (西洋人も、同じように踏絵を避けるものか??)
生きてる方が地獄、死んだら、天国へ行ける・・・ その思いか? このへんがわからない。

そして、タイトルにある「沈黙」は、神への疑問・・?  なぜここまで苦しむ信者たちを前に、神は何も
言わないのだ?  なぜ彼らを助けない?  宣教師ロドリゴの悲痛な叫びでもある。 


やがては、このロドリゴもガルペも捕えられる。  特にロドリゴは、キチジローの裏切りによって。。
ーと、言うのだが、私はもっとこのキチジローが悪いやつだと、思ってたの・・・(映画観る前は。)
元はキリシタンだと言うが、彼だけは躊躇せずに、踏絵をし、さらにツバまで吐いた。
でも、今の人なら、キチジローのが普通だよね。    命がかかってたら、踏絵くらいするよな。
それにキチジローはすごく葛藤している。。  ロドリゴに何度も許しを乞い。
そこまで思うなら、裏切るなよってとこだけど。  裏切るけど、裏切れきれないのだねえ。。

キチジローよかった。  この役は、浅野さんがやりたかったって言うけど、これは窪塚くんがいいわ。
浅野さんは、ロドリゴの通訳の侍で出たけど、これはこれで、存在感あったよ。 
ええ、意外と日本人俳優陣が今回は存在感がありました。 
主要キャストの、窪塚くん、浅野さん、イッセー尾形さんは、言うまでもなく、まるでエキストラのように、
あれー、今のは~ みたいなとこで出てきた皆さんも。  その場で存在感を見せたよな。


3時間近い、珍しい長丁場の鑑賞ではありましたが、全然だれる、飽きるよなとこがなく。
ずっと見入ってしまいましたわ。  外国人が撮った違和感もなかった。 まさに「沈黙」って感じ。

ほんとに、「沈黙」だよなあ・・・・ 

ロドリゴが棄教しなければ、信者たちが代わりに死ぬー と言われても、なかなか棄教する事もできず、
だけど、いくら祈っても答えはでない。。  神様は何も救わない・・?
そんな中、やっと再会したフェレイラ神父が、ロドリゴに、「棄教せよ。 彼らを救うのは神ではない。 
オマエなのだ。」ってのは、まさに、それしかなかったよ。   
神に気を使っているよりも、オマエの存在が、彼らの棄教を阻むのだって、
日本では真のキリスト教は根付かない。 キリシタンが信じているのも、日本の中で独自に広まった
キリスト教であって、西洋のものとは違うー ってのもなあ。 

じゃ、何なんだよ。  彼らは何のために死ぬんだよ・・・ っと。


これ、もう一回、原作本を読んでみようかな。   

それでは、そろそろまた病院へ行く時間です。。。  どうなってんのかなあ。・。・  ワシの足。