こんな時じゃありますが・・・ 今年2本目の映画を観ました。 最初は見るつもりなかったんですが、
これ、ポジティブちゃんの推奨。 まあ、有名な日本文学が原作ですからね。
それをどう外国人監督が撮ってるかって、それも興味だなあって思って、行きました。
なんて言いながら、実は原作については全然知らない。 文学には疎い私ですから。 (^^;
アンドリュー・ガーフィールドに、日本の俳優陣が絡むのも、ちょっと気になる楽しみじゃありました。
2人が師と仰ぐフェレイラ神父が、布教に渡った日本で、棄教して消息不明になったという知らせが届く。
そんなはずははいー、真実を突き止めるため、またフェレイラ神父を探しに、2人が日本へ渡るとこから
手引きでなんとか無事にトモギ村というところに着いて、そこで隠れキリシタン達とも出会う。
信仰の深さも感じ、日本に来てよかったー って・・・つかの間の充実感も得たのですが。。
もうほうっちゃおけないのね。 トモギ村にも、キリシタン、さらに宣教師たちがいることを嗅ぎ付けた
長崎奉行の一行が村に現れ、2人の司祭は村人によって逃がされるのだが、代わりに村人4人が
捕えられ・・・ 処刑されることになった。
今回、この映画の中で、目を引いてしまったのが、この処刑シーン。 ただ単にバッサリ切るとかじゃなくて、
これは拷問死とでも言うのでしょうか。 村人4人は十字架のように貼り付けにされ、その十字架は
海の中に立てられる。 満潮時の潮が満ちると、高くなった波が何度も彼らをたたきつける。
力つきて死ぬまで、そこにさらされる・・・っての。
生きたまま藁にくるまれて、焼かれたり、または、そのまま海に落とされたり・・・
ひっ、酷すぎる !! 見てられないわ~ っと。 何でここまでやるか。
そして、こんな恐ろしい目に合うのに、なぜ、踏絵を拒む?! 躊躇する?? このへんもわからない・・
そこまで信仰が熱いのか? 武士が生き恥をさらすなら、死んだ方がまし・・みたいに切腹するような
日本人の美学?? (西洋人も、同じように踏絵を避けるものか??)
生きてる方が地獄、死んだら、天国へ行ける・・・ その思いか? このへんがわからない。
そして、タイトルにある「沈黙」は、神への疑問・・? なぜここまで苦しむ信者たちを前に、神は何も
言わないのだ? なぜ彼らを助けない? 宣教師ロドリゴの悲痛な叫びでもある。
ーと、言うのだが、私はもっとこのキチジローが悪いやつだと、思ってたの・・・(映画観る前は。)
元はキリシタンだと言うが、彼だけは躊躇せずに、踏絵をし、さらにツバまで吐いた。
でも、今の人なら、キチジローのが普通だよね。 命がかかってたら、踏絵くらいするよな。
それにキチジローはすごく葛藤している。。 ロドリゴに何度も許しを乞い。
そこまで思うなら、裏切るなよってとこだけど。 裏切るけど、裏切れきれないのだねえ。。
キチジローよかった。 この役は、浅野さんがやりたかったって言うけど、これは窪塚くんがいいわ。
浅野さんは、ロドリゴの通訳の侍で出たけど、これはこれで、存在感あったよ。
ええ、意外と日本人俳優陣が今回は存在感がありました。
主要キャストの、窪塚くん、浅野さん、イッセー尾形さんは、言うまでもなく、まるでエキストラのように、
あれー、今のは~ みたいなとこで出てきた皆さんも。 その場で存在感を見せたよな。
3時間近い、珍しい長丁場の鑑賞ではありましたが、全然だれる、飽きるよなとこがなく。
ずっと見入ってしまいましたわ。 外国人が撮った違和感もなかった。 まさに「沈黙」って感じ。
ほんとに、「沈黙」だよなあ・・・・
ロドリゴが棄教しなければ、信者たちが代わりに死ぬー と言われても、なかなか棄教する事もできず、
だけど、いくら祈っても答えはでない。。 神様は何も救わない・・?
そんな中、やっと再会したフェレイラ神父が、ロドリゴに、「棄教せよ。 彼らを救うのは神ではない。
オマエなのだ。」ってのは、まさに、それしかなかったよ。
神に気を使っているよりも、オマエの存在が、彼らの棄教を阻むのだって、
キリスト教であって、西洋のものとは違うー ってのもなあ。
じゃ、何なんだよ。 彼らは何のために死ぬんだよ・・・ っと。
これ、もう一回、原作本を読んでみようかな。
それでは、そろそろまた病院へ行く時間です。。。 どうなってんのかなあ。・。・ ワシの足。